吉村貫一郎
- 役名
- 諸士取調役兼監察、剣術師範、目付
- 流派
- 北辰一刀流剣術
- 出身
- 奥州南部
- 紹介
- 妻子五人を抱えた南部藩士と伝わる。慶応元年四月、江戸で入隊。
- 引用リスト
新選組、敗れざる武士達
奥羽戦争で官軍と戦うことになる佐幕の南部藩が、徳川直参となった後の新選組隊士に切腹を申し付けられるわけもない。 史実としては、吉村貫一郎は鳥羽伏見の戦に軍監として参戦し、銃弾を受けて戦死したのである。遺体不明、享年二十九であった。 |
- 吉村貫一郎の死についての解説です。
壬生義士伝(下)
「新選組隊士吉村貫一郎、徳川の殿軍ばお務め申っす。一天万乗の天皇様に弓引くつもりはござらねども、拙者は義のために戦ばせねばなり申さん。お相手いたす」 横なぐりの雪が、だんだら染めの隊服を翻しておった。それはわしが後にも先にもこの世で初めて見た、まことの侍の姿じゃった。 |
- 鳥羽伏見の戦いで義のため一歩も引かず戦う吉村貫一郎について語る斎藤一の様子です。
壬生義士伝(上)
「俺は死にたいね。いつ死んでもかまわぬ。斬ってくれる奴がいないから生きているんだ」 水溜りで下駄を拾いながら、吉村はふしぎそうにわしを見つめた。 「私はちがいます。死にたくないから、人を斬ります」 |
- 吉村貫一郎最期のときの様子と、御一新後に彼を知る人物へのインタビューが交互に語られています。妻子のために脱藩し新撰組に入り、守銭奴として嘲られながらも武士としての誇りは一切揺らがない。泣ける一冊です。
- 最期の最期まで生きたいと思ったのは、やっぱり家族を愛していたからなんでしょうね。
- まっすぐであり続けるということは、それがどの方向を向いていたとしても凄いといえることじゃと思うのう。
- 昔って訛りがすごいんだね。