永倉新八
- 役名
- 副長助勤、二番組組長、剣術師範
- 流派
- 神道無念流剣術、心形刀流剣術
- 出身
- 江戸
- 紹介
- 江戸の神道無念流岡田十松門下だが、試衛館に出入りしており、文久三年二月に近藤らとともに上洛し壬生浪士組を結成する。
- 引用リスト
FOR BEGINNERS シリーズ 新選組
私は、明治になって、板橋の刑場近くに近藤、土方の慰霊碑を建てたり 勇の後継者たちに天然理心流の手ほどきをしたりした。 |
- 引用の一節は、永倉新八が明治になってから近藤勇の後継者に天然理心流の稽古をつけていたとの解説です。
新撰 京の魅力 新選組、京をゆく
- 京都の新撰組関連の地や歴史をたくさんの風景写真や史料写真とともに解説されている本です。
- 引用の一節は、作家浅田次郎が「新撰組顛末記」は永倉が自分を英雄化していると感じたとの評論と、顛末記の構成上劇的になっている可能性があるとの解説です。
- 写真がイッパイで、紹介文の文量もそんなに多くないので読みやすいです。ただちょっと前の本なので今とは違う部分もあるみたいですね。
- 「新選組、京をゆく」というタイトル通り京都の新選組に関係する場所の地図や史跡情報がまとめられておるので、観光する際の参考にもなるのう。
- 史料とか史跡って見に行っても写真とれないとことかあるから、こういう本好きだな~
幕末剣豪秘伝
普段は、どこにでもいるような好々爺に見えたが、酔うと下帯一つの裸体になって、腰の銃傷の痕をぴたぴたと叩いて得意になる癖があり、「これでもお国のために働いてきた体だ。こいつは、わしの誇りだ」と声を張り上げたという。 |
- 晩年の永倉新八の様子です。
新選組風雲録 戊辰篇
「われら新選組が市中巡察の途中としっての狼藉か!」 云い終わる前に、すらりと白刃を抜きはなって中段につけ、永倉は罵声をあびせかけた。 「そうと承知で、道をさえぎったのなら、遠慮するにはおよばねえよ」 にわかに伝法な口調になった。 「新選組の人の斬りようを教えてやるぜ。どこからでもかかってきやがれ」 |
- 市中巡察中の永倉新八の様子です。
新選組(下)
「おれは水葬にだけはなりたくねえなあ」 永倉が寒風に吹かれて寒気立った顔で言った。 「どうしてだい」 原田が問うと、 「泳げねえんだよ」 「馬鹿だねえ、死んだら泳ぐも泳がないもないだろう」 「ああそうか。しかし寒そうだな」 「それも死ねば関係ない」 |
- 森村誠一新選組の下巻です。油小路の変から、鳥羽伏見の戦い、そして箱館戦争を経て生き残った新選組隊士の明暗様々なエピローグまでが描かれています。
- 引用の一節は、大阪から江戸に向かう富士山丸で討ち死にした隊士を水葬した後に会話する永倉と原田です。
- 新選組最後の隊長相馬主計さんが、影の目的を持って入隊した隊士として描かれています。
- 新選組の名が伝説的に鳴り響いていてその名を聞けば敵はひるみ、白兵戦では無類の強さで局地的にではあるが戦場を圧巻する場面は良かったのう。
- 誰に肩入れしてるでもない様な内容だから、落ち着いた感じで読めるね。
幕末新選組
「まあききなさいよ。いいかね、いえば、新選組はもともと分が悪くなった御公儀の力を盛り返すがために生まれたもんだ。何を今さら、あわてるこたァねえ。はじめっから分が悪いんだからね」 |
- 永倉新八の視点で描かれる新撰組。さっぱりとしていて優しさがあり腕が立つ、そんないい男ぶりで描かれているよ。
- 亀屋の小常って女性についての永倉さん平助くんと原田さんとのやりとりがにやにやしちゃう。
- 明治以降の永倉についての話は興味深いのう。幕末の人斬りが明治のやくざをこらしめるエピソードは最高じゃ!
- まさに同志。新撰組の一組長という役職であっても永倉は近藤、土方と同列の同志だって感じだな。
戦国と幕末
日清戦争が始まったとき、当時、五十六歳になっていた新八は、 「抜刀隊の一員として従軍させていただきたい」 と、志願したそうである。 明治政府は、しかし、これを取りあげなかった。 新八は、せがれの義太郎に、 「もと新選組に手をかしてもらったとあっちゃあ、薩長の連中も面目まるつぶれというわけかえ」 こういって苦笑した。 |
- 本書に収録されている「永倉新八」の中の一節です。戦国時代の武将や忠臣蔵、幕末に活躍した人たちのエピソードが綴られています。
- 永倉さんのお孫さんから聞いた話などもあって、幕末の人なのになんだか親近感がわきました。
- 新選組以外にも、戦国時代や幕末・明治の人々の生活が詳しく書かれておって、他の小説を読むときの参考にもなるのう。
- 永倉が自分の帳面に新選組副長助勤、永倉新八改、杉村義衛と書いてたってエピソードは、いいね。