平間重助
- 役名
- 副長助勤
- 流派
- 神道無念流剣術
- 出身
- 水戸
- 紹介
- 文久三年二月、芹沢とともに浪士組に参加し上洛。壬生浪士組の結成メンバーとなる。
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引用リスト
新選組意外史
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駿河町奉行の職にあったが公職追放で小普請入りとなりそのときから、鳩翁を名のった。二千五百石のお旗本である。
その知行所が茨城県の当時水戸斉昭によって振興された私学校の一つである那珂湊文武館の近くにあったため、そこの塾生平間重助などが鳩翁邸の用心棒兼用人をしていた。
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- 独自な解釈の歴史書籍を数多く出されている八切止夫の新選組意外史です。山南敬助、永倉新八、伊東甲子太郎など新選組の主要な人物ごとに章立てて描かれています。
- 引用の一節は平間重助が、水戸一味と見なされた鵜殿鳩翁邸の用心棒をしていたとの記述です。
- 出てくる人みんな他の小説とかとはちょっと違う描かれた方な感じでした。主に悪い方に…
- 新選組が水戸から会津、勤王から佐幕へと転換した日和見の組織と描かれておる。
- 格好いい新撰組隊士の話を見過ぎて、違う感じのが読みたいひとには良いかもね。
幕末剣豪秘伝
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平山は殺されたが、平間は死んだふりをして、隙を見て逃走したとされている。その後、土方らが唯一の目撃者を追うこともせず、捜索もしていないことから、平間は手引き役であったのではないかと疑う説もある。
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- 平間重助が芹沢鴨暗殺の手引き役であったとする記述です。
洛西壬生村 八木一族と新選組
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「平間先生、先生の言い付けで糸里さんの処に届けました簪の代金、早く払って下さい」
と、平間に督促をし出した。
「そ、そんなに大きな声を出すなよ新吉」
と云いながら、平間は新吉を八木邸台所の片隅に連れていき、小銭を渡しているようであった。
新選組の隊士たちと新吉との間で、こういったやり取りが繰り返されるのは、日常茶飯事で、側に居たもの達も、この光景を、苦笑しながら見守っていた。
が、この間に、平間と新吉の間で、
「今夜決行、手配頼む」
「承知致しました」
との意思確認が行われていた。
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- 一見微笑ましいやりとりに見えるが、実は平間重助が芹沢鴨暗殺の手引きをしていたとする場面です。