御陵衛士
- 紹介
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慶応二年一月、伊東は近藤とともに長州へ下り、その際、持論の勤王論を唱え、九月には尾張へ出張後に近藤、土方らと意見の対立を激化させたという。翌三年一月、西国遊説に出かけた時、伊東は宇田兵衛と名乗り新井忠雄らと九州へ赴いた。この時点で新選組からの離脱が鮮明になった。近藤との対談で離脱の理由に「薩長に間者(スパイ)に入るため新選組に居っては迷惑もかかるゆえ」と近藤の承諾を求めた。
この時、近藤は快諾したような態度をみせ、実は斎藤一を間者に送り込み、伊東らの行動を一部始終探らせたのである。
伊東は三月二十日、御陵衛士の高台寺党を結成し、新選組から離脱した。 - 引用リスト
新選組意外史
「脱退とか、分離というのではなく、新選組を二つに分け、これまでの大公儀御用の方とは別個に、新帝御用の組をつくり、世の中がどちらへ転んでも、片方は助かるようにして置けば、もしもの際も残れた方が他を吸収でき、組の命脈が保って行けるという案ですが……ひとつ考えてみて頂けませんか」 |
- 独自な解釈の歴史書籍を数多く出されている八切止夫の新選組意外史です。山南敬助、永倉新八、伊東甲子太郎など新選組の主要な人物ごとに章立てて描かれています。
- 引用の一節は御陵衛士の分離は戦国時代の真田家の様に、あえて敵味方両陣につき新撰組を存続させる策だとする記述です。
- 出てくる人みんな他の小説とかとはちょっと違う描かれた方な感じでした。主に悪い方に…
- 新選組が水戸から会津、勤王から佐幕へと転換した日和見の組織と描かれておる。
- 格好いい新撰組隊士の話を見過ぎて、違う感じのが読みたいひとには良いかもね。
歳三からの伝言
「死ね。新選組の男」 「手前だってそうだ」 「何だと」 「手前だって、新選組の篠原でなけりゃ、薩摩を頼っていったところで火付けや押込強盗をさせられていたぜ」 「黙れ」 「新選組の篠原だったから、ちやほやされたのだ」 |
- 鳥羽伏見の戦いで土方歳三に斬りかかる元御陵衛士の篠原泰之進の描写です。
時代小説 読切御免(3)
十郎は声をあげた。 「敵討ちでござる。相手はすこぶる強豪の者にござれば、御当家の小銃を拝借つかまつる」 銃架から勝手に二挺ばかり掴み取って、表に出た。 総勢六名。全員が討ち死にの気分である。なにしろ新選組の精鋭二十余名が相手だ。 |
- 本書に収録されている「墨染」の中の一節です。伊東甲子太郎殺害後に、御陵衛士の阿部十郎が仇討ちに向かいます。
- 阿部十郎さんって、この時代でロケットに興味をもってたんですって。
- 阿部はどうして、こんなに近藤を憎んでおったのかのう。
- ぐうないと。
幕末維新傑作選 最後の武士道
同志は七人であったが、新選組隊士は四十数人で襲いかかってきた。乱闘のあげく、服部武雄、毛内有之介、藤堂平助の三人が討死にし、他の四人が逃げた。 弥兵衛は生きのこった同志らとともに、復讐を誓い、近藤をつけ狙う。 復讐の機会は、ひと月後の十二月十八日にめぐってきた。 |
- 本書は、幕末、明治のそんなに大きくないエピソードがまとめられた一冊です。この一節は、その中の「弥兵衛切り死に」の一節です。富山弥兵衛は薩摩の密偵として新選組に入隊し、その後御陵衛士として分離したとされる人物です。
- 他にも、新選組の死に番や、天満屋事件を題材にした短編もありますね。
- 富山は油小路の変の後は、薩摩の密偵として働いていたようじゃが、どんな顔にでも変装できる様、自分の歯を全て抜いていたという記述もあるのう。密偵とはいえ、凄まじいものじゃ。
- 官軍側についた方でも、最前線で働いてたひとたちは悲愴だね。