甲陽鎮撫隊
- 紹介
- この「甲陽鎮撫隊」は、新選組隊士約八十名を中核とする部隊で「近藤は大名並みに長棒の駕籠に乗り、土方は馬上。烏合を狩り集めて約二百の兵を率いたが、(中略)甲州へ行くか行かぬかという相談会のあった時、近藤は将軍家の内諾を得たといって『甲州城百万石をとったら先ず自分は十万石、土方は五万石、沖田永倉は三万石、伍長級五千石、平隊士各一千石』と夢のようなことをいっていた」(永倉新八談『戊辰物語』)。
永倉の明治後期の回想談では、往時の夢だったが、甲州百万石の件は、当時の噂として徳川慶喜の内諾があったと、官軍側の書状の中にも記されている。 - 引用リスト
FOR BEGINNERS シリーズ 新選組
千人隊にしても菜っ葉隊にしても、命令系統を超えた緊急要請なので、近藤か土方以外のハンパな人物が交渉に当たってもダメ。結果的には土方でも、役人の命令系統を破ることはできなかったわけだ。 近藤と土方は京都で一度も戦闘場面を共有していない。これは新選組を崩壊から守る周到な配慮だ。 |
- 引用の一節は、近藤と土方が戦場を共にしないのは組織を崩壊から守る策だとする解説です。
FOR BEGINNERS シリーズ 新選組
かなりゆっくりした進軍だが、これを「故郷への凱旋気分」と非難する人がいる。 調布での近藤生家の人たちの見送り、府中・粕谷良循宅での宿泊、日野・佐藤邸での歓談などに、凱旋気分がなかったとはいえない。が、この進軍は古式にのっとったもので、援軍の合流を受け入れるためのスピードだ。 |
- 引用の一節は、甲府へ向かう進軍スピードが遅いと言われていることについての解説です。
FOR BEGINNERS シリーズ 新選組
- 引用の一節は、近藤土方が名を変え甲府城に向かったことは正式な幕府としての命であり、新選組を追っ払う策略などではなかったとの解説です。
新選組(下)
「近藤さんたちも江戸で甲陽鎮撫隊というのを作って、やはり甲府へ進んでいるようなことを、さっき、ちらりと耳にしましたけど」 「近藤さんたちが」 と守之助は、ふっと眉を曇らせて、 「新選組とは別の隊なのだね」 「新選組の生き残りも加わっているから、戦う相手としては屈強だと官軍の兵士が話していました」 |
- 村上元三新選組の下巻です。甲陽鎮撫隊が甲府に向かうところから、箱館戦争で土方歳三が討死するまでの新撰組が描かれています。
- 引用の一節は、戦いを辞めるように近藤勇を説得しようと京から江戸に向かう秋葉守之助が甲陽鎮撫隊について知る場面です。
- 影ながら秋葉さんを助け続けてくれたおくらさんですが、もともとの目的はなんだったんだろう?
- 原田左之助や大石鍬次郎の京都以降の動きは一般的に知られているものとは違うように書かれておる。
- 新撰組のことを客観的に書くために、主役が新撰組から一歩も二歩も引いた立場の架空隊士になったんだと思うけど、なんだかドラマの「龍馬伝」とか「JIN」の主役みたいな感じで先が見えてて情に厚い現代人の様な主役だった。
歳三奔る 新選組最後の戦い
- 本書は新選組の鳥羽伏見の戦いから甲州勝沼の戦いまでを中心に描いた物語です。特に甲陽鎮撫隊の成り立ちから、甲府行きの行軍が遅れた理由、柏尾での戦いなどが多く書かれていて、珍しいポイントに注目した内容になっています。引用の一節は、一般的には邪魔な新選組を甲府へ追いやる戦略と言われている甲陽鎮撫隊が、理由はそれだけではないことを説明する勝安房守の台詞です。
- 近藤さんと土方さんが二人一緒に戦わないとダメだって言っててうるっときたけど、じゃあ一緒だった流山はどしてって思っちゃった…
- 柏尾の戦いでは、甲陽鎮撫隊となった新選組幹部がそれぞれ「新選組」として名乗りをあげて戦う場面が良かったのう。
- 甲府城乗っ取りを図る薩摩浪士を襲撃する佐藤彦五郎の話や、謎の多い隊士結城無二三の話もおもしろかったね。