池田屋事件

年月
元治元年(一八六四)六月五日 引用元
紹介
京内の志士たちは、ひそかに連絡をとりあってつぎのような大がかりな反撃の計画をたてた。
「祇園祭の人ごみの日をねらって、京都の町に放火して混乱を起こし、京都守護職の松平容保を暗殺し、天皇を長州にお連れする」
そして、元治元年(一八六四)六月五日にこの企てに加わったおもな者が京都の三条小橋の西がわの旅籠、池田屋にあつまっていたところに、新撰組が斬りこんだ。これが、池田屋事件である。 引用元
引用リスト

だんだら


新選組、敗れざる武士達


最初は近藤勇と沖田総司の二人だけで二十人の志士達と斬り合ったのだ。長州側だって一流の剣客揃いである。これで殺されなかったのだから、改めて言うまでもないことかもしれないが、近藤も沖田も並大抵の剣士ではなかったのだ。そういう凄腕が、他にも土方歳三、井上源三郎、永倉新八、藤堂平助、原田左之助、斎藤一と揃っていたわけだから、新選組はメチャメチャ強かった。これは尋常な集団ではない。  引用元
典医二対二十で殺されなかった近藤、沖田が凄いのはともかく、新選組にはその二人に匹敵する剣客が何人もいた事についての解説です。

新撰組の光と影 幕末を駆け抜けた男達


新撰組の損失は死傷三(奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門)だけだ。藤堂と永倉が傷を負ったともいう。
おもしろいのは、残敵や逃亡浪士捕縛に当たった会津、彦根、桑名、淀の各藩が、それぞれ五人、四人、二人と死者を出し、手負いにいたっては会津三十四、彦根十五、他それぞれ少々と損失をこうむっていることだ。この点では、新撰組はあきらかに、“職業殺人屋”といえる。
 引用元
武家新撰組の組織の在り方や攘夷についての考え、その他色々と細かいエピソードについて書かれています。登場する人の心情について多く書かれている感じがします。
典医引用の一節は、少数で斬り込んだ新撰組の損失に比べて、数千の兵で取り囲んでいた諸藩の方が損失が多かったとの記述です。
町娘あとがきに著者の方の新撰組好きな様子が書かれていてちょっとおもしろかったです。
坊主新撰組の誕生から滅亡までの歴史や隊士の説明はあまりないので、新撰組は知っているがもっと細かいエピソードや考察を読みたいと思っている人にはよいかもじゃ。
緑猫この著者の方が書く芹沢鴨は独特だね。

隠された幕末日本史


この戦闘で、沖田総司の刀が折れたり、藤堂平助が負傷したりしたことは、近藤勇の手紙によって明らかであるが、こうしたことが、斬殺集団の謗りを受けるだろうか。京都を火の海にするという暴挙を阻止せんとするのに、
「お鎮まりください。そのようなことは、おやめください」
と、説得すべきだったというのだろうか。そんなことで、おとなしくなると思っている人は、ばかだ。
 引用元
武家会津藩や新撰組を中心に、幕末について色々と解説されている本です。
典医池田屋事件での新撰組の討ち入りは非難されるべきことではないとする記述です。
町娘武士として生きる者の心構えやあるべき姿がこうだというのが熱く書かれていますね。
坊主会津や新撰組を賞賛する記述が多い一方、薩長については結構手厳しい文面が多くみられるの。
緑猫新撰組の記述は全体の四分の一くらいかな。

漂流巌流島


「近藤勇は熱烈な佐幕派だ。徳川将軍家を自分たちの主君と考えていた。それと同時に攘夷論者でもあった。日本を守るためには攘夷しかないと信じている。ところが、あいにくと幕府には攘夷を実行する意思がない。これが近藤の苦衷だ。この矛盾を解消する方法は二つに一つ。近藤が攘夷思想を捨てるか、そうでないなら──何としても幕府に攘夷を実行してもらうかだ」
「──」
「といって、近藤ごときが嘆願したところで幕府が動くはずもない。そこで彼は考えた。幕府の腰が半端でなしに重くても、尻に火がつけば動くしかなくなる。まさか近藤自身が火をつけることはできない。だから、分かっていて長州を焚きつけたのさ。こっぴどく叩きのめして、実力行使に踏み切るように挑発してやろうと企てた。そんなところへ舞い込んできた絶好の機会が──池田屋だった」
 引用元
武家本書に収録されている「慟哭新選組」では、池田屋事件を近藤勇が起こした理由はなにかというテーマで語り合います。他にも巌流島、忠臣蔵などの解釈についても書かれてる短編集です。
典医池田屋に少数で切り込んだ近藤勇の本当の思惑は攘夷を決行するためとする記述です。
町娘あまり歴史を知らなくても丁寧に説明されているのでわかりやすかったです。
坊主色々な文献などから当時の近藤勇の心情を推測していく流れがミステリー小説を読んでいるようでおもしろかったのう。
緑猫こういう、なんかの事件があった理由は何かって友達同士で話し合っても楽しいよね。

派遣刺客


近藤や土方は池田屋を踏まえて、新選組を大名として独立させたいと意識するようになった。滔々たる時代の流れの中で、「池田屋」などは漂流物の断片にすぎない。その破片にすがって時代に乗ったような、いい気になっている時代錯誤に、近藤らは気づいていない。
土方は多少気づいているようであるが、漂流物であろうと、断片であろうと、新選組を押し上げるためには、なんでも利用する貪欲な意思があった。
 引用元
武家会津藩家老西郷頼母の娘がくノ一であったとし、影から新撰組の活動を助けていく物語です。
典医引用の一節は、池田屋事件で勇名を馳せた新撰組ですが時代の流れからみると些細なことだとの記述です。
町娘くノ一として生きてきた主人公は、商人の新次郎と出会い忍の道以外の道があることに気づきます。
坊主史実にそって話は進むが、数々の窮地で新撰組は不思議なくノ一に支えられ、そのたびに振り回される新撰組隊士はすこし滑稽でもある。
緑猫タイトルからは新撰組の話ってイメージしにくいね。

BAKUMATSU! 新選組


近藤もそう。この人は写真を見ただけでもわかるが、相当に厳つい。なにせ池田屋事件の時に、真っ先に乗り込み、一人で二階に駆け上がった人である。
相手は何人かわからない。
中は今みたいに電気がないから真っ暗。
その中にこの人は飛び込んだ。
「うわっ!なんだよ、いっぱい居るじゃねェか。まいっちゃったな。ま、いいか」
ここで後ろに引かなかったから近藤はすごいし、こいつらはヤバイ奴らだと言うのである。
 引用元
典医池田屋事件での近藤勇についての記述です。

虹の生涯 新選組義勇伝(上)


松田重助の重い剣を受けた弾みに、永倉の愛刀手柄山氏繁の鋩子が折れた。
避ければ藤堂が据物斬りの素材となる。身を楯にしても盟友を見捨てることはできない。
永倉は鋩子の折れた氏繁で藤堂を庇った。いまや傷ついた友を助けなければならないという責務が永倉の気持ちを支え、彼を生かしていた。
 引用元
武家元御庭番衆のご隠居四名が幕府の指示により、幕末の有名な出来事に陰ながら尽力する物語です。途中から新選組の行動に参加する様になり、池田屋事件にも参加します。
町娘新選組の味方って訳でもないみたいね。おじいちゃんたちの冒険活劇って感じかな。
坊主老身ながら、鞭や手槍で奮戦する元御庭番衆の活躍が痛快じゃが、幕府の手駒故に命令には従わざるをえない部分は不憫じゃのう。
緑猫京都守護職の汚れ仕事を最前線で実行する新選組と、幕府の影の仕事を生業にする御庭番衆は表裏はあっても同じような立場なのかもね。

新選組剣客伝


翌日、壬生の屯所に凱旋した永倉の姿を、八木為三郎が目撃している。
「永倉新八は右手に半紙でぐるぐる巻きにした曲がった刀の身を下げ、左手は手ぬぐいのようなもので包んでいて、それに血が真っ黒くにじみ出していました」
当夜の戦闘のすさまじさがうかがえる。
 引用元
武家本書は、試衛館の代表的メンバー8人のエピソードが収められています。この一節は池田屋事件後凱旋した永倉新八の様子です。
町娘永倉さん以外の方の池田屋事件後の凱旋のエピソードがいくつか書かれてますね。
坊主新選組最大の見せ場のひとつ、池田屋事件の事をはじめそれぞれのメンバーの人柄や日常の話もおもしろいのう。
緑猫主要メンバー8人って、あと一人くらいなんとかならんかったのか。井上。。

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